芋蔓電気鉄道のお話(架鉄の設定) ブログトップ

電車の生い立ちについて語ってみる。+おまけ(あんまり凝視すると目が回っちゃうyo!) [芋蔓電気鉄道のお話(架鉄の設定)]

概ね完成したので、また色々と妄想に耽ってみる事にします。

いくら『嘘』車輛&『妄想』世界であってもメチャクチャでは面白く無い訳で、それなりの理由をこじつけて車輛の設計をしてたりするわけです。

そんな訳で、個々の車輛の生い立ちについて語って逝く事にします。。。

芋電市内線はこの間語った3路線で、総延長28.1kmです。
営業車は全部で67編成が在籍しています。

因みに以前架鉄の設定でお話したように、国交省の特認で30mオーバーの車輛もOK!というナメタ設定になっておりますです。。。

芋電400&410型電車。
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昭和XX年~平成X年。
広電3500形の設計を元に製造された、3連接の300型路面電車を後に4連接に改造した車が410型電車で、築港線が開業する際に設計最高速度80km/hで4連接の高性能路面電車として誕生した車が400型電車です。

それまでの高床式釣りかけ電車に比べて低い床、鋭い加速性能(起動加速度4.6km/s)、省走行コストを実現し『400型』9編成、『410型』13編成が在籍しています。


芋電440型電車。
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戦前~300型電車が誕生する昭和XX年まで市内線の主力だったボギー単車、ダミーカー(2連結車用)、2連接車を4連接改造した車輛群です。

400&410型が出揃ってから改造が始まったので、型式は4連接車の続番で440型です。
全28編成が在籍してたものの、ここ数年のLRV大量配備で12編成まで数を減らしてしまいました。

検査のタイミングで自社工場にて4連接改造されたため、種車が全て同じ型式の『綺麗』な編成の車もあれば、種車が全て違う型式の『小汚い』編成(画像の物)もあったりで、鉄道ファン垂涎の車輛だったりするみたいです。
中にはLRVの配備が計画より2年遅れた都合で、鉄道線を走っていた1000型釣りかけ電車の電装部品を移植して古芋線仕様(80km/h仕様)に仕立てられた『う○こ色の弾丸』と呼ばれる編成も存在します。

芋電480型電車。
平成X年。
700型電車とほぼ同時期に導入された『ブレーメン型』の4連接ULRVです。
後ほど紹介する700型電車(コンビーノタイプ)と同時期に導入され、テスト運用の末700型が選ばれた為2編成のみが在籍と、市内線の中で最も数が少ない希少な車です。


芋電700型電車。
平成X年~平成XX年。
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市内線の混雑が激化する中で、切り札として登場したのが7連接車の700型です。

芋電初のULRVで床は地面から360mmのフルフラット、全長42mの巨大な車体で全11編成が市内環状線を走っています。


芋電720型電車。
平成XX年~
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700型電車のマイナーチェンジ版で、現在も増備が続いている芋電市内線の最新型車輛です。

夏場苦情が殺到した700型電車のクーラーより大容量の物を搭載し、古芋線開業に合わせて全軸駆動で設計最高速度90km/h、起動加速値はPCCカー並みの6.0km/sで『バスより速い路面電車』として登場しました。

が、乗車率200%に迫る環状線の混雑区間で車内転倒事故が相次ぎ、鉄道線以外で本領を発揮する事は殆ど無いみたいです。。。

今では単一型式で最多の20編成が在籍し、全ての路線で活躍しています。

で、おまけです。。。
凝視すると最後に目が回っちゃいますyo!!



(因みに子供の声がうっさい感じだったので、どんな曲だか知らないまま適当なBGMをつけてます。。。)




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タグ:架空鉄道
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芋蔓電気鉄道『金時市内線』について語ってみる。 [芋蔓電気鉄道のお話(架鉄の設定)]

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以前ちょこっとだけ『芋電』の設定について語った時にうpした路線図です。
これは鉄道線全線を含めた『大きな括り』でのお話でした。。。

今回は、今作っている『路面電車』達の舞台である『芋電金時市内線』についてちょっとだけお話したいと思います。
(30過ぎてこんな妄想で『ハァハァ』してるのがちょっと恥ずかしいので、軽く読み飛ばして頂けたら幸いです。。。)

路線図です。
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(因みに↑が南です。。。)

以前にも触れたと思いますが、舞台は瀬戸内海に浮かぶ島『五国』の玄関口で、人口87万人の比較的大都市である『金時市』です。

大きな括りで『市内線』と呼ばれてますが、鉄道線である『古芋線』『築港線』と軌道線である『市内環状線』の3つの路線で形成されています。

『市内環状線』の路線の多くは戦前に敷設された物で、昭和40年代に訪れた『マイカーブーム』の影響で廃止&大幅な縮小をされる事も無く今日に至っております。

もう一度貼っておきます。。。。右下辺りのお話です。
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『築港線』は元々『西港線』という鉄道線で、金時市種芋区の『本種芋』から自社航路のフェリーターミナルがある『金時西港』迄を結ぶ路線でした。
が、混雑緩和を目的とした芋電本線の複々線高架化事業と、金時橋新線の建設事業、さらに本五連絡橋の開通によるフェリー利用者の大幅な減少が予測された事で橋の開通を待たずして廃止されました。

用地は市に売却され、道路の拡幅に充てられる事となります。

数年後、JRの本五連絡線が開通すると、西港線と並走していたJR築港線も廃止され、築港駅と金時築港貨物駅跡地は国鉄清算事業団によって売却されました。
跡地には高層オフィスビルや高層マンションが立ち並ぶ事となります。

築港駅&貨物駅跡地の居住&就労人口が、ほんの数年で爆発的に増えたにも関わらず、バス以外の交通手段が全く無かった事。
金時市の離島部から金時中心部への通勤通学客が少なく無い事。
強風による本五連絡線の運休が多く、フェリーでの振り替え輸送が頻繁に行われている事等、廃線に踏み切った当時と比較して多くの輸送力が必要になってしまった事で、金時市と芋電は市内線の北端の電停『JR金時駅前』から、JR築港線の廃線跡地を利用して西港、築港町まで市内線を延長する事になります。

現在は全線単線、退避線2か所の路線を大型の連接路面電車が12~20分間隔で運行されています。
(因みに鉄道線故、営業最高速度は70km/hという設定です。)


『古芋線』は『金時電気軌道』開業時からの最も歴史ある路線です。
さらにもう一度。。。今度は左上の方のお話です。
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五国一の河川『五万十川』の中流に位置し、水運の拠点であり万年水不足の五国にあって水資源が豊富だった古芋は江戸時代より染物、酒造りが盛んで、立派な蔵や家屋が建ち並ぶお屋敷町でした。

『五国の小京都』と呼ばれる美しい街並みと、良質な温泉が湧く事で戦前には新婚旅行のメッカだったみたいです。。。

温泉客や旦那衆相手の遊郭や高級温泉宿も立ち並び、全盛期には年間数百万人が訪れる全国有数の観光地でした。
が、時は流れモータリーゼーションの発達や交通機関の発達、嗜好の変化などもあって観光客は次第に減り、数十件あった遊郭は姿を消し、旅館の多くは廃業を余儀なくされる事となります。

鉄道の話に戻します。。。

古芋から南金時、栗金(現在の芋電本線『栗金東駅』)を経由して、御芋に至る路線として全線単線で開業。
それまで主役だった水運に変わって貨物の扱いも非常に多い路線でした。

観光地としての全盛期&鉄道が貨物輸送の多くを担っていた頃に複線化されましたが、第二次世界大戦中軍によってレールを接収され単線に戻ります。
戦後20年が経ち物流の主役の座を『トラック』に奪われ貨物輸送は激減。先にお話しした観光客の減少も合わせ市内線と200m程離れてはいるものの『接続駅』として利用する事が出来る『南金時』から『栗金』の区間は廃止されることになります。

完全に他の路線と切り離された事、輸送量の減少もあって、昭和初期の冷房すら付いていない本線のお下がり釣りかけ電車がのろのろ走るローカル線になってゆきます。

しかし、通勤通学客が比較的多いにも関わらず交換駅が2つしか無い事で20分間隔での運行しか出来なかった事、乗り継ぎの便の悪さ、夏場の車内環境の悪さには不満の声も多く、『古芋市』と『芋電』の間で幾度となく市内線との接続話が持ち上がりますが、市内線と古芋線の『南金時』の200mの間にある商店街の移設費用の問題で、平行線のまま時間だけが過ぎてゆきます。
南金時周辺に『古芋市』『金時市』の境界があった事も話が複雑になってしまった一因なのかも知れません。

時が流れて平成○○年。
平成の大合併により金時市と古芋市が合併する事となります。

芋電金時橋新線の開業で、里芋市北部等周辺自治体に人口が流れ出した事に危機感を覚えた金時市と、バブル全盛期『古芋』に広大なニュータウンを開発するも、後から開発した里芋市北部のニュータウンほどヒットせず半分以上が売れ残ってしまってた『芋電不動産』との思惑ががっちり噛み合った事で、市内線と古芋線の接続話はトントン拍子で進む事となります。
(芋電不動産が里芋市北部の自社物件を売り切ったという事らしいです。。。)

立ち退きにやや時間が掛ったものの、行政との合意後5年で接続工事は完了する事となります。

それまでヨレヨレだった単線軌道は高規格の複線になり、昭和初期のポンコツは最新のLRVに置きかえられ4~8分間隔での運行が始まると、10km程度しか離れていなかったものの、乗り換え時間も含めて40分以上かかっていた市駅までの所要時間は一気に20分前後に短縮される事となります。
(運転速度が40→80km/hになった事&列車交換が無くなった事&200m歩いて乗換えする必要が無くなった事etc・・・・それまでが酷過ぎたって事ですね。。。)

元々格調高い『お屋敷町』古芋のイメージと、飛躍的に利便性が向上した事で減少が続いていた古芋の人口は徐々に増加に転じる事となります。。。


舞台の主役、車輛については完成と同時にお話しして逝きたいと思います。。。ノシ
(最も苦手なはんだ付けより疲れますね・・・・・長文。。。)


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架空鉄道『芋蔓電気鉄道』について語ってみる。 [芋蔓電気鉄道のお話(架鉄の設定)]

一言で言ってしまえば妄想という名の戯言です。。。

数か月前、有る知人の影響で架空鉄道の目覚めてしまったのが発端で、今ではどっぷりとその世界に浸かってしまった私・・・・・

手始めにバス&16m級の通勤型車両をこさえて妄想にふけてみました。。。
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我が家に『編成物』が殆ど無いので、最初のうちはS字カーブを作ってクネクネさせてハァハァしてたものの、ちょっと短めとはいえ、この子達をノビノビと走らせる事が出来るレイアウトを作り上げる根気もスペースも無いし、やっぱり「路面電車が好き」って事であっさり方針転換。
で、アホみたいに長い連接車を作り始めた次第です。
(そのうち作り始めるであろうレイアウトで、立派な脇役になってくれる事でしょう・・・・)

見難いとは思いますが参考までに・・・・
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大正X年に御芋~御芋大社間で開業した『御芋観光鉄道』と、
大正XX年に金時(現在の古芋町)~御芋間で開業した『金時電気軌道』がルーツです。

現在では御芋県(人口230万人)金時市(人口87万人)を中心に、東西に150kmの鉄道線と、30kmの軌道線を有する大私鉄。という設定です。

輸送量は首都圏の大手私鉄並みに豊富で、瀬戸内最大?の商業都市である金時市中心部へ、金時市郊外、里芋市や紅東市から60万人、五国最大の工業都市である男爵市へも市内外から15万人の乗客を運んでいます。
10数年前迄全ての車輛が4両編成で運行されていた為、毎日が『戦後の混乱期』状態で死人が出るほど混雑していた鉄道線も、ATC導入による超過密ダイヤ化と、長編成化(8or6両編成)によって混雑率が190%台まで落ち着いてきたところです。

その一方、時間当たりの都心部への流入量が激増してしまいます。
繁華街である『金時市駅周辺』、オフィス街である『西金時』、官庁街である『金時橋』、大学が密集する『南金時』は、お互いに「歩くとかったるい2km」離れていることで、全てを結んでいる市内線の混雑は激化。

道が悪く渋滞の激しい金時中心部ではバスの増便も難しい状況でした。

そこで、新種芋から金時橋方面への地下鉄の建設と、市内線車輛の大型化を目論む事になるわけです。
税金の大量投入の甲斐あって、計画からわずか5年で地下新線が開通。
地元代議士が奇跡的なタイミングで国交大臣に就任した事や、他都市とはちょっと違う交通環境と尋常では無い輸送量の為、あっさりと軌道用車輛の30m超えの認可が下りてしまいます。

という事で、今作っているちょっと長めの路面電車を正当化してみた次第です。

絶賛放置プレー中のモジュールをさっさと終わらせなきゃいけない身分なのに、妄想駄文に40分もかけて・・・・・・我ながらアホですなw

明日から仕事では無いものの、区役所&病院のはしごをしないといけないので今日はここまで。
おやすみなさいノシ



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